状況把握能力または冤罪について
自分がどういう状況に置かれているのか。瞬時に判断しなくてはならない時がある。
今日の出来事。
非常勤講師としてムサビから帰る途中、細い路地で携帯電話のメールを見ながら信号待ちをしていた。すると、運転席の窓をノックする音が。見ると、バイクに乗った中年の男性が窓をあけるように強く要求している。
コンコンコンコン
これはトラブルの始まりの合図である。身に覚えは無い。車中で携帯を見ている事を咎めているのか。知らずのうちに誰かに接触してしまったのか。何か踏んでしまったのか。踏んでいるのか。わからない。窓をあけるべきか。どうなのか。5感やらこれまでの人生の経験やら全て踏まえて、今の状況を把握しようとした。
男性は私の後ろに並ぶ軽自動車に目をやる。女性が乗っていて、私を何度も指差している。コイツダコイツダ。
もう逃げられないのだ。
対向車はバイクが邪魔で停車している。その後ろも車が並ぶ。私が渋滞の原因なのだ。
何かしてしまったんだ。たしかに疲れはたまっている。それにしても。
窓を開ける。
男性「野菜落としました?」
私「え」
男性「あの野菜です」
指差された反対車線の歩道には、ネギらしき束が、確かに落ちている。右後ろ45度に5メートル。歩道にネギ。新鮮な艶があり、この状況になったばかりだと主張している。後ろの女性はまだ私を指差している。オマエダオマエダ。
冷静に考えてほしい。
どうして私が赤信号の直前で、反対車線の歩道にネギを投げて逃げる必要があるのか。動機は何なんだ。
目的は。新手のテロリストなのか。
「記憶にありません」では、やってしまった政治家みたいで、=「はい私がやりました」の意になる。
ここはサラリとかわすべきだと判断。「いえ、落としてはいません」といって、窓を閉めた。
男性は後ろの女性に向かって、「違うって」とか何か言っている。
私はそのまま何事もなかったかのように、すみやかに走り去った。
後ろの人が何を主張していたのか、まだ分からない。
どういう経緯でバイクの男性がノックするに至ったのかも分からない。こんなことがあったと言えるだけだ。
全ての交通事故は道路一本違えば起きないし、朝起きてからの所作一つでも異なれば起きなかったかもしれない。得体の知れぬ大きな渦は、日常のなかで大きな口を開けている。
私は渦から出られたのだろうか。それとも。