秘すれば花
世阿弥の記した風姿花伝のなかの有名な一節。
「秘する花を知る事。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからずとなり。この分け目を知る事、肝要の花なり。」
物事や作品には、言ってはならぬ事、見せてはならぬ事がある。
教えてしまえば早いにも関わらず、相手の心で見いだされなければ意味がない事がある。その見極めが難しい。
作家はそこにかけていることが多い。分かってくれるだろうか、伝わるだろうかという不安を抱きながら。
建築自体も有名なある個人の美術館で、絵画のキャプション(タイトルや制作年が書いてある紙)の下に、作品の見所が書いてあって、興醒めしたことがある。
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作者
制作年
この絵はここがこのように表現されていることが素晴らしい作品です
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一瞬目を疑ったが、書いてあるものは書いてある。どの絵にも書いてある。
ああ、それを言ったら終わりでしょと私は思う。
通販のカタログを見ているのではない。実際に作品を鑑賞しに、わざわざ遠くの美術館に行ったのだ。
それはこっちが考えることだし、自分はそうは思わないかもしれない。
見所を書かれると、それ以外は触れなくていいのですかと心配になる。
カタログや、別紙に書いてあるならまだしも。作品と同時に見るはずの所に、なぜ。
自信がないのかこちらを馬鹿にしているのかそれとも出来心なのか。よくわからない。しかも、誰の意見なのかわからない。
実際の作品を目前にしながら、かなり濃いもやをかけられたみたいな気持ちになり、作品の印象があまりない。
世阿弥は「その風を得て、心より心に伝はる花なれば、風姿花伝と名付く。」とも。深いです。
しかし、それは余裕のある時の話であって、人命のかかるような緊急時はそうも言ってられないと思っていた。
↑かなり秘していて、余裕すら感じます。
どうして赤色だけ退色が早いんだろう。こういう看板、たまにあります。