その坂に名前をつけてやる
D坂の殺人事件といえば、江戸川乱歩である。D坂とは文京区の団子坂のことで、いろいろな小説の舞台となっている。
それがすなわち歴史であり、人間が醸し出した文化である。
昨年までいた筑波大は、東京教育大がつくばに移転してから30年しか歴史が無いので、どうもそこで暮らす住人によって醸し出された文化というものに乏しい。
そもそもつくばでは「文化」という言葉はたいていネガティブな会話でしか登場しなかった気がする。
エスキモーは雪を表す言葉だけでも何十種類もあるという。牛を表すために、たくさんの名詞を使い分けるところもあるという。それはきっと、区別する必要があり、区別できる名詞があった方が便利だからだ。
「あのドルフ近くのバイク屋から芸バチ近くの電話ボックスに繋がっている坂でね、、」
これは、筑波大の構内のある坂を表すために私が使っていた表現だけれど、なんとももどかしい。
つくばはビックリするくらい広大な平野なのだが、単に”坂”と言って特定できるほど少なくもない。
とくに構内には微妙な坂がたくさんあったので、こんな表現になってしまうのだ。
やはり、名前をつけないと、、。そう漠然と考えていた。
名前をつけるというのは、普通は自分の子供とかペット等に名前をつけるくらいだと思うけれど、作品を作る人の場合、自分の作ったものには名前をつけること になっているので、それほど特殊なことではないのだけれど、やはり後々残るかもしれない、いや、残ってほしいという思いもあるので、それなりに身が引き締 まる思いがする。
筑波大学アートギャラリーT+のスタッフと話をしていて、ワークショップの案がないかというので、構内の坂に命名するってのはどうだろうと話をして妙に盛り上がり、こうなったら坂部の発足だということになったのだが、気がついたらその話は流れてしまっていた。
名前は誰でも命名できる。それを普及させるのは難しい。
かつて大学でうろうろしていた大きな犬は(構内を野良犬がうろうろしているなんて、ここ以外考えられない)、性格もおだやかだったのでみんなにかわいがら れていたが、名前がいろいろあった。それぞれが自分の仲間内で伝わって来た名前で呼んでいたからだ。それほど不都合もないから統一しようという話は起きな い。
だから、名前をつける対象には、名札をつければよい。
初めは違和感を覚えるかもしれないが、すぐに慣れるだろう。
杭に坂の名前でも彫って、打ち付けてしまえば、あとは勝手に広まるだろうと考えた。
さて、坂の名前の由来というのは、その坂にまつわる逸話から来ているもので、私はその出来事が小さければ小さいほど、いいと思う。
そんな小さな逸話でさえ、残念ながら自分には何も無かった。どう考えても登ったか下りたかくらいしかない。
それなりに湾曲していて、雑木林を抜ける感じなので、風情がないわけではない。
春には桜も見えるが、普段その坂が取り立てて美しいということもない。
うーん。結局いまだに思いつかない。こういうのは然るべきタイミングに、スッと決まるものなんだろう。
その頃の私は、大学という組織に属しながらも、いかに怒られない程度に学生と遊ぶかということをまじめに考えていた。
今日は「タモリのTOKYO坂道美学入門」という本を読んだ。
タモリは日本坂道学会の副会長で、曰く、良い坂の条件とは
1 勾配が急である
2 湾曲している
3 まわりに江戸の風情がある
4 名前にいわれがある
だそうだ。